2015年に惜しまれながら引退した、元JRA騎手の藤田伸二さん。
そのwiki経歴や出身の競馬学校や中学、G1での戦績や生涯獲得賞金、引退理由やパニック障害を抱えていたことなどをまとめてみました。
豪快な風貌とは裏腹に常にクリーンな騎乗を心掛け、フェアプレー賞を何度も受賞した通算1918勝を挙げた名ジョッキーだった藤田伸二さん。
どうぞご覧ください!
藤田伸二のwiki経歴
名前 :藤田伸二(ふじた・しんじ)
生年月日:1972年2月27日生まれ
年齢 :51歳
出身地 :北海道新冠郡新冠町
身長 :158㎝
職業 :日本中央競馬会(JRA)の元騎手 YouTube
日本中央競馬会競馬学校(第7期)
現在は札幌市内でbar favori(バーファヴォリ)を経営。
同期 :四位洋文さん・安田康彦さん・郷原洋司さん
デビューした1991年には39勝を挙げ、91JRA賞(最多勝利新人騎手)最多勝利新人騎手賞、関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞されています。
藤田伸二の出身校
室蘭市立東明(とうめい)中学校
小学校卒業と同時に新冠町から室蘭市に転居し、室蘭市立東明中学校に入学されました。
小樽市立潮見台(しおみだい)中学校
中学校1年生修了時に小樽市に転居し、小樽市立潮見台中学校を卒業しました。
日本中央競馬会競馬学校(第7期)
藤田伸二さんは1989年に日本中央競馬会競馬学校に入学されました。
当時はそれ以外にも度々素行を注意されることが多く、本人も「(競馬学校時代に)悪いことは一通り全部やった」と語っています。
しかし、同期の安田康彦氏は「競馬学校では布団の隅を合わせて畳む几帳面な男であった」話されています。
JRA騎手歴代勝利数
1 | 武 豊 | 4,466勝 |
2 | 岡部 幸雄 | 2,943勝 |
3 | 横山 典弘 | 2,936勝 |
4 | 福永 祐一 | 2,636勝 |
5 | 蛯名 正義 | 2,541勝 |
6 | 柴田 善臣 | 2,336勝 |
7 | 河内 洋 | 2,111勝 |
8 | 増沢 末夫 | 2,016勝 |
9 | 川田 将雄 | 1,977勝 |
10 | 藤田 伸二 | 1,918勝 |
この錚々たる顔ぶれの中での10位ってすごいですね!
藤田伸二はGⅠ通算17勝
タケノベルベットでの勝利は、競馬ファンをアッと言わせました!
1992年 | エリザベス女王杯 | タケノベルベット |
1996年 | 東京優駿(ダービー) | フサイチコンコルド |
1997年 | 有馬記念 | シルクジャスティス |
1999年 | 高松宮記念 | マサラッキ |
2000年 | 優駿牝馬(オークス) | シルクプリマドンナ |
2001年 | 朝日杯フューチュリティステークス | アドマイヤドン |
2002年 | 高松宮記念 | ショウナンカンプ |
宝塚記念 | ダンツフレーム | |
2005年 | 安田記念 | ダンツフレーム |
2008年 | ヴィクトリアマイル | エイジアンウインズ |
2009年 | 高松宮記念 | ローレルゲレイロ |
スプリンターズステークス | ローレルゲレイロ | |
2010年 | ジャパンカップダート | トランセンド |
2011年 | フェブラリーステークス | トランセンド |
天皇賞(春) | ヒルノダムール | |
マイルチャンピオンシップ南部杯 | トランセンド | |
ジャパンカップダート | トランセンド |
藤田伸二はフェアプレー賞19回
藤田騎手といえば、フェアプレーでも知られており、騎手24年のキャリアで19回のフェアプレー賞を受賞しています。
2004年、2010年には特別模範騎手賞(勝利数、獲得賞金額、勝率各部門が東西いずれかで5位以内かつ制裁点がゼロ)を受賞しており、2004年の受賞は史上最年少での受賞でした。
【藤田伸二騎手のコメント】
引用元:競馬ラボ
「勝てる馬に乗せてもらっているので、24年間乗っていればこの数字は達成できるものだと思います。
人に怪我をさせないよう、制裁を受けないように騎乗するのが自分スタイルです。
乗せてもらえる馬にはこれからも一生懸命騎乗したいと思います。
その間は他の騎手の見本になるようなレースをしたいです」
なぜフェアプレーを心掛けているのか
河内洋現調教師に、「伸二の後ろにいると安心できる」このように言われ、嬉しく励みになったそうです。
「ユタカさん(武豊)の後ろにいて安心できるし、僕もそう思ってもらいたい」。
そう考えてるのでフェアープレーを意識されてるのですね。
藤田伸二の生涯獲得賞金は400億円!
JRAで通算1918勝(うちGI17勝)を挙げた藤田伸二さん。
その獲得賞金は400億円にのぼるといわれ、騎手の取り分はその5%ですので、手にしたのは20億円となりますね。
さらに騎乗手当が5億円あり、合計で25億円だったと藤田さん自身が告白されています。
もっとも稼いだ時期で「土日(2日間)で20頭ぐらいに乗って1000万円」。
遊びも豪快で、毎年開催される札幌、函館の夏競馬4カ月で「1000万円くらい使ってましたね」と当時の事を話されています。
藤田伸二2015年9月6日電撃引退!
藤田氏は引退について改めてエージェント制度を挙げた。
引用元:東京スポーツ
レースにおける比重を「馬8、騎手2」という藤田氏は「エージェント制によって、馬主とのいい関係が築けなくなくなり、騎乗機会が減っていった。
腕は落ちていないのに『落ちぶれた』と言われる前にやめようと決断した」と明かした。
電撃引退の理由はエージェント制度への不満としています。
藤田伸二とパニック障害
そんな藤田伸二さんはがパニック障害を発症したのは2003年6月1日の日本ダービー(東京競馬場)前日の土曜日。
名古屋から新幹線で移動している際に発作が起きてしまいます。
夕方で新幹線が混んでいたために空席が限られており、座った隣には非常に体格のいい方が座っていたそうです。
その方が座席からはみ出すすごい圧迫感に加え、蒸し暑い列車内が重なり、どんどん息苦しくなり、過呼吸になって倒れてしまい、小田原で緊急停車しタンカで搬送されました。
その後しばらくは、パニック障害がいつ発症するかわからないという不安から、列車や飛行機による長時間の移動を避けていました。
新幹線では新横浜や名古屋で何度も途中下車り伊丹から札幌へ行くときに飛行機が滑走路へ向かう途中でおかしくなり、搭乗口まで戻ってもらったこともるそうです。
さらには、海外遠征でも過呼吸を起こし、そのために海外の騎乗を断ったこともあったそうです。
しかし、その後は安定剤などの服用により体調は安定し「飛行機も普通に乗れるようになった」と自著でコメントしています。
【元騎手】藤田伸二のwiki経歴&出身校!GI17勝で生涯獲得賞金は400億円!まとめ
元騎手の藤田伸二さんが暴行の疑いで逮捕というニュースが出ていますね。
2015年に引退されていますので、現役当時をご存じない方も多くなってるかもしれません。
ですから今回は、藤田伸二さんの騎手時代の名手と言われた活躍ぶりを書かせていただきました。
最後まで、ご覧いただきありがとうごじました。
↓【wiki経歴関連の記事はこちらにも】↓
コメント