【顔画像】スパーク3人娘とは?中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりプロフィール!

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スパーク3人娘と呼ばれた3人のことをご存じですか?

当時、渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ伊東ゆかり園まりの3人の事で、1962年に名づけられました。

今回は、このスパーク3人娘のプロフィールについて、まとめてみました。

どうぞ、ご覧ください。

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目次

スパーク3人娘とは?

左から中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり

渡辺プロダクションに所属していた中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの3人の総称で、「スパーク3人娘」と1962年に名づけられました。

確かな歌唱力でアメリカンポップス系を得意とし、ザ・ピーナッツの後継として、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演して、人気を博しました。。

2022年5月13日放送は3人娘として、久々に全員揃って「徹子の部屋」へゲスト出演されています。

中尾ミエのプロフィール

芸名中尾 ミエ(なかお・みえ)
本名中尾 美禰子(なかお・みねこ)
生年月日1946年(昭和21年)6月6日
年齢78歳
星座ふたご座
干支戌(いぬ)年
出身地福岡県小倉市
(現・北九州市小倉北区)
血液型O型
身長158㎝(公式サイトより)
学歴精華学園女子高校中退
デビュー年1961年
特技タップダンス
所属事務所ワタナベエンターテイメント

2017年8月、以前から週刊誌等で噂になっていた、自宅で50年の長き間に渡り同居しているパートナーの存在を初めて公のインタビューで語りました。

16歳でリリースした『可愛いベイビー』が100万枚を越える昭和史に残るメガヒットを記録し、一躍スターに。

クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演。

主な出演作品
ドラマ
『アイフル大作戦』
『必殺必中仕事屋稼業』
『トップナイフ』など。

映画
1992年『ひき逃げファミリー』
2010年『信さん・炭坑町のセレナーデ 』
2012年『人生、いろどり』
2015年『繕い裁つ人 』

バラエティ
1980年~1987年『ミエと良子のおしゃべり泥棒』
2009年~ 『5時に夢中!』

NHKでは、ドラマ『若い季節』『ふりむくな鶴吉』『金魚姫』ほかに出演しています。

デビュー当時から気の強さと歯に衣着せぬ物言いが好評で、本業以外にもトーク番組の司会を数多く務めていますが、初期のイメージはキュートな清純派でした。

デビュー当時から、歌だけでなく映画やテレビドラマでも活躍し、昭和38年に歌手では初めて、映画製作者協会から新人賞を受賞

中尾ミエ NHK紅白歌合戦出場歴

1962年(昭和37年)初出場 
『可愛いベイビー』

1963年(昭和38年) 2回目 
『キューティ・パイ・メドレー』

1964年(昭和39年) 3回目 
『夢みる想い』

1965年(昭和40年) 4回目 
『夢見るシャンソン人形』

1966年(昭和41年) 5回目 
『蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー)』

1967年(昭和42年) 6回目 
『ただそれだけ』

1968年(昭和43年) 7回目 
『恋のシャロック』

1969年(昭和44年) 8回目 
『忘れられた坊や』

伊東ゆかりのプロフィール

芸名伊東 ゆかり(いとう・ゆかり)
本名伊東 信子(いとう・のぶこ)
生年月日1947年(昭和22年)4月6日
年齢77歳
星座おひつじ座
干支亥(いのしし)年
出身地東京都品川区
血液型AB型
身長158㎝
学歴関東学園女子高等学校
(現・関東国際高等学校)
デビュー年1958年
所属事務所ビバリーメディアアイランド

前夫は歌手で俳優の佐川満男(2024年4月21日没)で、その間に生まれた実娘が歌手の宙美

1967年2月10日発売の『小指の思い出』は、1968年11月時点で公称150万枚と爆発的なヒットとなりました。
「第9回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞。

「和製ポップス歌手」として旋風を巻き起こし『シャボン玉ホリデー』『若い広場』などに出演し、絶大な人気を博しました。

NHKでは『歌の祭典』の司会を務めたほか、第20回『紅白歌合戦』では紅組司会を務め、また、華やかな容姿と美声で、女優としてもドラマや映画で活躍。主な出演作品
ドラマ
NHK連続ドラマ小説
『ひらり』ヒロインの母親・藪沢ゆき子 役
『おひさま』倉田杏子 役

映画
『愛するあした』(1969年 芸映プロ・日活)主演・水沢洋子 役

伊東ゆかり 紅白歌合戦出場歴

1963年(昭和38年) 初出場 
『キューティ・パイ・メドレー』

1964年(昭和39年) 2回目 
『夢みる想い』

1965年(昭和40年) 3回目 
『恋する瞳』

1966年(昭和41年) 4回目 
『愛は限りなく』

1967年(昭和42年) 5回目 
『小指の思い出』

1968年(昭和43年) 6回目 
『恋のしずく』

1969年(昭和44年) 7回目 ※紅組司会兼任
『宿命の祈り』

1970年(昭和45年) 8回目
『さすらい』

1971年(昭和46年) 9回目
『誰も知らない』

1975年(昭和50年)10回目
『わたし女ですもの』

1992年(平成 4年)11回目
『ボーイ・ハント』

園まりのプロフィール

芸名園 まり(その・まり)
本名薗部 毬子(そのべ・まりこ)
生年月日1944年(昭和19年)4月12日
没年月日2024年(令和6年)7月26日
(80歳没)
出身地神奈川県横浜市保土ヶ谷区
身長159㎝
学歴東洋音楽学校高等部
デビュー年1962年

1966年~1967年マルベル堂のプロマイド売り上げ女性歌手第1位

1956年に童謡歌手としてデビューした園まりさん。

愛らしい顔立ちでアイドル的な人気を獲得し、1962年には「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビューされました。

甘くささやくような歌声が特徴で、「逢いたくて逢いたくて」や「夢は夜ひらく」などのヒット曲を多数発表し、紅白歌合戦には「三人娘」を含め6回出場しました。

このほか、『シャボン玉ホリデー』などのバラエティー番組にも出演するなど、幅広く活躍されました。

日本歌手協会によりますと、園さんは2008年に乳がんを発症して手術を受けましたが、5年前に再発し、治療を続けていたということです。

去年10月に体調を崩して入院し、先月26日、急性心不全のため東京都内の病院で亡くなったということです。

80歳でした。

引用元:NHK

園まり 紅白歌合戦出場歴

1963年(昭和38年) 初出場 
『キューティ・パイ・メドレー』

1964年(昭和39年) 2回目 
『夢みる想い』

1965年(昭和40年) 3回目 
『逢いたくて逢いたくて』

1966年(昭和41年) 4回目 
『夢は夜ひらく』

1967年(昭和42年) 5回目 
『愛は惜しみなく』

1968年(昭和43年) 6回目 
『ひとりにしないで』

【顔画像】スパーク3人娘とは?中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりプロフィール!まとめ

昭和の時代に一世を風靡した、中尾ミエさん、伊東ゆかりさん、園まりさんのスパーク3人娘

残念ながら、園まりさんはお亡くなりになってしまいましたが、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんには、まだまだお元気で歌声を聞かせて欲しいものですね。

最後まで、ご覧にいただきありがとうございました。

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